当山の仏像、什物をご紹介します。
※製作年代、構造説明などは「五霞町 未指定有形文化財調査票(平成15年)」によります。
❶阿弥陀三尊像
本堂中心に「ご本尊」としておまつりしている阿弥陀如来・観音菩薩(向かって左)・勢至菩薩(向かって右)の三体のお像です。経典には、亡くなった方がいると、この三尊はじめ多くの菩薩方が極楽浄土から迎えに来られ、浄土に連れ帰られると説かれています。これを「来迎(らいこう)」といいます。観音菩薩は慈悲の仏さま、勢至菩薩は智慧の仏さまとして仰がれています。
三体とも江戸時代前期の作。寄木造、肉身部金泥塗、玉眼。(像高60.5センチ=阿弥陀仏像)
❷両大師像
ご本尊の両側にまつる二体のお像です。
向かって右が、唐時代の中国に念仏の教えを広めた高僧・善導大師(ぜんどうだいし=613-681)、左が浄土宗を開いた法然上人(1122-1212)。浄土宗では、善導大師を高祖(こうそ)、法然上人を宗祖と仰ぎます。法然上人は元禄10年(1697)に時の天皇陛下より「円光大師」の、その後も平成時代まで計八つの「大師号」(〇〇大師という呼称)を授かっています。
❸持阿上人像
無量寿寺を開いた持阿上人(じあしょうにん=1262-1323)の坐像。上人は浄土宗藤田派を開いた性心(しょうしん)の弟子で、藤田派を大成した僧侶。武蔵国藤田庄(埼玉県寄居町)出身であることから、「藤田派」の呼称がつけられたとされます。
❹阿弥陀如来坐像
西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の仏。「私の名前、すなわち、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)ととなえる者は、だれ一人漏らさず、私の国(極楽浄土)に迎えとろう」と誓われています。浄土宗の教えは、その誓い(本願)を信じ、阿弥陀さまのお守り、お導きをうけ、いずれは極楽に迎えとっていただくことを祈りつつ、念仏をとなえる、というものです。
※製作年代、構造説明などは「五霞町 未指定有形文化財調査票(平成15年)」によります。
❶阿弥陀三尊像
本堂中心に「ご本尊」としておまつりしている阿弥陀如来・観音菩薩(向かって左)・勢至菩薩(向かって右)の三体のお像です。経典には、亡くなった方がいると、この三尊はじめ多くの菩薩方が極楽浄土から迎えに来られ、浄土に連れ帰られると説かれています。これを「来迎(らいこう)」といいます。観音菩薩は慈悲の仏さま、勢至菩薩は智慧の仏さまとして仰がれています。
三体とも江戸時代前期の作。寄木造、肉身部金泥塗、玉眼。(像高60.5センチ=阿弥陀仏像)
❷両大師像
ご本尊の両側にまつる二体のお像です。
向かって右が、唐時代の中国に念仏の教えを広めた高僧・善導大師(ぜんどうだいし=613-681)、左が浄土宗を開いた法然上人(1122-1212)。浄土宗では、善導大師を高祖(こうそ)、法然上人を宗祖と仰ぎます。法然上人は元禄10年(1697)に時の天皇陛下より「円光大師」の、その後も平成時代まで計八つの「大師号」(〇〇大師という呼称)を授かっています。
❸持阿上人像
無量寿寺を開いた持阿上人(じあしょうにん=1262-1323)の坐像。上人は浄土宗藤田派を開いた性心(しょうしん)の弟子で、藤田派を大成した僧侶。武蔵国藤田庄(埼玉県寄居町)出身であることから、「藤田派」の呼称がつけられたとされます。
❹阿弥陀如来坐像
西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の仏。「私の名前、すなわち、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)ととなえる者は、だれ一人漏らさず、私の国(極楽浄土)に迎えとろう」と誓われています。浄土宗の教えは、その誓い(本願)を信じ、阿弥陀さまのお守り、お導きをうけ、いずれは極楽に迎えとっていただくことを祈りつつ、念仏をとなえる、というものです。