浄土宗 無量寿寺

お葬儀のことでお悩みの方へ

お葬儀(お葬式)って?

「いのち」をさずかった私たちは、それぞれさまざまな人生を歩み、寿命の長短にも定めはなく、いずれお別れの日はやってきます。その時、見送る者が、亡くなったその方の生涯をねぎらい、感謝の思いを伝え、よりよい、そしておだやかな「次の世」におもむくことを願って勤めるのがお葬儀です。

でも…「お葬式に意味なんかあるの?」。そう思う方もいらっしゃるはず。

至極もっともな疑問!です。もし、あなたがそう思っていらっしゃるなら、実はすでに、「お葬式」というものに対してしっかりと向き合いたい、つまり「意味づけをしたい」という「こころ」がおありになる、ということでしょう。

キリスト教やイスラム教、そして仏教の、いわゆる「世界三大宗教」と称される宗教以外にも、あるいは国、あるいは地域によってその営み方に違いがあるとはいえ、古くから人々は先だった方を手厚く葬ってきました。「だから、私たちもそうすべき!」などと、短絡的に結びつけるつもりはありません。国民の果たすべき義務でもないのですから。ご安心ください、やらなくても誰も罰せられません。

 

人はみな、「関係性」のなかで生きています。一人(独り)では生きることはできません。そもそも、自分ひとりの力で生まれたわけではありません。お葬式(その後のご法事やお盆、お彼岸など、いわゆる「供養」全般)とは、その「関係性」を、あなたがどうとらえるか、ということに集約されます。

あなたの「いのち」の「みなもと(仮にAさんとします)」は、どなたですか。その方(Aさん)の「いのち」の「みなもと(仮にBさんとします)」はどなたですか。さらに、その方(Bさん)の「いのち」の「みなもと」は、どなたですか……。ということを、私たちはふだん、考えることをしません。なぜか? 考えても答えが出ないからです。考えても考えなくても、あまり影響はなさそうですし。

この問いかけは、終わることはありません。延々と続きます。仏教ではこれを「無始(むし)」といいます。つまり「はじめなきはじめ」ということです。「ココがスタート」という始点を特定できないほど、おびただしいまでの数の「いのち」のつながり、そして長い長い「とき」を重ねた結果としての一つの「いのち」、それが「あなた」にほかなりません。これはいわば、「タテのつながり」。

その間の、誰か一人でも欠けていたら「あなた」は存在していません。なんと天文学的な話!!

さらにあなたは、いま、お友達や職場の同僚や親戚やご近所の方や、もっとイマ風にいえばSNSでつながっている方や……現に生きていらっしゃる方との関係もお持ちですね。あなたは、その関係性の一つの「ハブ(集約点)」なのです。つまりは、そうしたさまざまな関係性でつながっている方によって「支えられているあなた」、ということになります。いえ、実はそればかりではない、その関係性は「双方向」、つまり、「あなたがそうした方々を支えている」、そうした存在でもあるのです! ←コレがとても大切です。あまり、自分では感じにくいのですけどね。でも、事実であり、真実です。

「生きる」ということは、「支えられている」ということであり、「支えている」ということ。あなたとなにがしかの関係性を持っている方が亡くなったからといって、何もなかったかのようにその関係性が消え去る、ということはあり得ません。先だった方も、見送ったあなたも、おなじように大事な大事な「いのち」をもった存在なのです。昨日までも、きょうも、明日からも。

亡くなった方には「その方の」人生がありました。あなたはそれ、つまり、その方が味わってきた辛さとか、苦しみとか、もちろん楽しさとか嬉しさとか、そうしたことをあなたはどれほど、ご存じですか。その方が、あなたとだけではなく、あなたにも知りえない様々な方と関係性があり、その方たちに支えられ、その方たちを支えてきた、その事実をどれくらい、理解されていますか。

「お葬式」とは、その関係性を確認し、縁のあった方それぞれが、感謝やねぎらいの言葉、もしかしたら「バカヤロー!」の悪態かもしれませんが、とにかく、「思い」を伝えるための「場」なのです。「お葬式」に臨み、故人に対する思いを伝える、そのことによって、故人と関係性のあった方は、徐々にでも気持ちを立て直し、「あした」を歩む力を生み出すことができるようになります。

「お葬式」つまり、亡き人を供養することは、「供養する側→供養される側」という一方向のベクトルではありません。「双方向」なのです。亡き人を供養する、ということは、供養する側の人が亡き人によって「救われる」ことを意味します。一方的であったとしたら、こんなむなしいことはありませんね(残念ながら、双方向であるということには、多くの方が気づかれていません…)

 

「お葬式に、何の意味があるの?」

あなたが疑問に思ったら、それは、お葬式のことを真摯に考えようという「こころ」のあらわれです。

 

無量寿寺の「お葬式」

無量寿寺は浄土宗のお寺です。それぞれの宗派により、お葬式でとなるお経や、営む作法など、違いはありますが、もちろん浄土宗のお経、作法にのっとって執り行います。

お通夜で行うこと、お経の意味、なぜお戒名をつけるのか、授けたお戒名の意味、さまざま作法の意味や目的…。お葬式をする側の方のさまざまな疑問に事前にお応えしつつ、「いっしょに」つとめさせていただきます。「意味もわからず、長く感じるだけ」「何が何だかわからないうちに終わっていた」ということはありません。

ご供養とは、住職(僧侶)が勤めるもの、ではありません。住職がコンダクター(指揮者)となって、遺族、参列者皆さんと共に営むものです。指揮者がいくらタクトを振っても、参列者(演奏者)がいなければ、楽器を演奏してくれなければ……。

ご不明なことは、何なりとお尋ねください。当方にてわかりかねることは、一旦おあずかりしてお答えいたします。無量寿寺は、「供養したい」の思いにお応えできるよう、お施主さまと共ににクリエイト(創造)する「ご供養」を志しています。

 

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